フーリガンの脅威!サッカーで戦争?暴動の歴史。 [調査、評価]
まさに火の海、地獄釜! ギリシャのサッカーの試合がとんでもない事に
火の海と化したのは、2014年4月16日に行なわれたギリシャのカップ戦の準決勝・PAOK vs オリンピアコスの試合です。
・PAOKとオリンピアコスはシーズン1位と2位で完全に2強状態!
PAOK は現在2位でタイトル奪取のためにも絶対に負けられない戦いでありました。
・ホームで熱狂するPAOKサポーター
4月2日に行なわれたアウェーでの試合を2-1で落としていためPAOKは得点を入れて勝つしかありません。
ボルテージの上がったサポーターは試合前から選手を後押しする声援を送るのだが、これがとんでもない盛り上がりなのである!
発煙筒を炊きまくるのである!
・ピッチが見えない
選手が入場を始め、発煙筒が焚かれるとスタジアムは殺気立った雰囲気に豹変。
ところどころから爆発音が聞こえ、ピッチにまで煙が充満し、スタジアムが煙に包まれたのです!
まるで火の海のような光景は完全にカオス状態。
サッカーは人をここまで熱くさせるスポーツです!
一歩間違えば大暴動も起こり得ます。
サッカーがとんでもない事態に! 数々の暴動の歴史を調べてみました!
フーリガンとは
フーリガンとは、サッカーの試合会場の内外で暴力的な言動・行動を行う暴徒化した集団のことを指す。
19世紀末にイングランドで発生したと言われおり、1980年代にはオランダを初めとする欧州各地にも広がり社会問題化した。
フーリガンの種類
・試合の観戦ではなく、暴れることそのものが目的となっている者
・自ら暴動に加わらず、騒ぎを起こすことだけを目的とする扇動者
・自ら騒ぎを引き起こすことはないが、他人が騒ぎ始めればその場の空気で加わる者
特徴
1)飲酒している
2)若者である
3)低所得者層が多い
4)集団で行動する
5)スタジアム外で暴れるものもいる
6)見たくれはスキンヘッドに刺青が多い!
以上がフーリガンという人々の特徴であるが、若者の有り余ったパワーの発散場で、日本のヤンキーとあまり変わらなく、感覚的には一昔前の暴走族と同じ感覚なのでしょうね。
エジプト・サッカー暴動!
図:参照 朝日新聞デジタル
場所 エジプト ・ポートサイド
日付 2012年2月1日
エジプトの国内サッカーリーグ戦において、アルマスリが3-1で強豪チーム・アルアハリを下した試合後に発生!
試合終了のホイッスルが鳴ると、アル・マスリの大量のファンがピッチになだれ込んだ。喜ぶファンの一方で、一部はアル・アハリの選手やサポーターを攻撃。
勝者のアルマスリのサポーターが敗者のアルアハリの選手やサポーターらを襲撃!
この2チームは以前から何度かサポーター同士で衝突しており、仲が悪かった。
難を逃れようとした一部の観客が競技場出口に殺到したことにより圧死。
死者は73人、負傷者は176人と史上最悪の大惨事になった。
原因は、警備側による群集コントロールの失敗
背景として ムバラク政権崩壊後、 警察の治安維持能力が低下し、治安が悪化していました。
2011年からエジプトやアフリカ北部でサッカーの試合をめぐる暴動が増加しています。
地元の裁判所は2013年1月26日に、殺人罪などに問われた観客21人に死刑判決を言い渡した。
カターニアのサッカー暴動
図:参照 AFP=時事
2007年2月2日、カターニアにあるスタディオ・アンジェロ・マッシミーノで行われたセリエAのカルチョ・カターニア対USチッタ・ディ・パレルモ戦で、ファンと警官との間で衝突が起きました。
この両チームの戦いは、シチリアダービーとして知られ、人気がある対戦です。
試合開始後、オフサイドの疑惑が残るゴールでパレルモが先制します。
このゴールに対してカターニアサポーターがアウェー席に発煙筒と爆竹を投げ込んだため、警官隊は催涙弾で対抗した。
催涙ガスがスタジアム内を漂い、プレーしている選手にも影響が出たため、主審のステファノ・ファリーナは40分以上も試合を中断するはめに。
その後、カターニアが同点ゴールを決めたが、パレルモのダビド・ディ・ミケーレが決勝点を決め、試合は2-1でパレルモの勝利に終わる。
決勝点となった2点目のゴールは明らかなハンドの反則を犯しており、カラッチョロの1点目も疑問の残る判定だったため、試合結果に納得のいかないカターニアサポーターは警官隊への攻撃を始めた。
ラチーティ巡査はスタジアム外でパトカーに乗って待機していたが、スタジアム最上部から落とされた紙爆弾がパトカーに直撃したため、彼は驚いて車外に出た。
カターニアサポーターは彼に投石を始め、そこに再び紙爆弾が投げ込まれて爆発し、その場に倒れ死亡しました。
今回の騒動でさらに1人の警官が死亡、100人以上ともいわれる多数の観客が負傷し14名のカターニアサポーターが逮捕された。
ヘイゼルの悲劇
1985年5月29日にベルギー・ブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアムで行われたUEFAチャンピオンズカップ 1984-85決勝のリヴァプール(イングランド)対ユヴェントス(イタリア)の試合前に、サポーター同士の衝突がきっかけとなり大暴動へ!
警官隊700人、軍隊1000人を動員して暴動を鎮圧した。
死者39人を出す大惨事になった。
イギリス人12人を含む15人を逮捕したことを発表した。
会場ではナイフや鉄パイプなどの凶器、瓶缶類の持込が公然と認められており、暴動を起こしたリヴァプールサポーターは酒に酔い酩酊状態にあるため一般客は騒動を止めたくても止めることが出来なかったとしている。
プラティニは「もうサッカーをしたくない」といったらしいです。
フーリガンという言葉が世界中に知られるきっかけとなった事件。
エスタディオ・ナシオナルの悲劇
※エスタディオ・ナシオナルスタジアム
1964年にはペルーでスタンド内の騒乱状態を沈静化するため、警備側が催涙弾を使用。
パニック状態になった観客が出口に殺到し318人が死亡し負傷者500人以上な事故
原因は観客によるピッチへの侵入、審判の判定に対する観客の不満
興奮の収まらない観客は試合後にリマ市内で暴動を引き起こした。
対処 ペルー政府は非常事態宣言を発表。ペルーでのオリンピック予選は中止されました。
サッカーが原因で戦争へ
出撃するエルサルバドル空軍の F-51D戦闘爆撃機(エルサルバドル空軍サイトより)
図:参照 http://www.geocities.jp/yuzukoseu/page010.html
エルサルバドルとホンジュラスの国民が全てフーリガン化し、戦争状態に突入した事件である。
サッカー戦争と呼ばれています。
メキシコ大会の出場権をかけた中米地区予選。
エルサルバドル、ホンジュラス双方が予選決勝に駒を進めることになった。
一回戦
6月8日、前日、投宿したエルサルバドル選手団のホテルの周りを取り囲み、一晩中抗議行動を行い、選手らの安眠を妨げたという。
翌日の試合、これまたスタジアムでは乱闘含む騒ぎがおこり、その中でホンジュラスが1-0で勝利した。
この時、熱狂的なサッカーファンであったエルサルバドル人の18歳の女性がピストル自殺をしてしまう。
彼女の葬儀にはエルサルバドルの代表選手や大統領なども駆けつけるなど、一大イベントと化す。
二回戦
その翌週、今度はエルサルバドルの首都サンサルバドルで2回戦が行われたが、これまた、逆にエルサルバドル側がホンジュラス選手団宿舎を囲んで騒ぎたてる。
自殺した女性の肖像を掲げ、相手チームを批難した。また、サポーターはホテルの窓ガラスを破壊し、腐敗した卵や鼠の死骸などの汚物を建物へと投げ入れた。
結果は3-0でエルサルバドルの勝ち。
三回戦(プレーオフ)
1969年6月27日1勝1敗で迎えたプレーオフ「エルサルバドル対ホンジュラス戦」で、3対2で負けたホンジュラスの全国民が怒り狂って、国家総フーリガン化してエルサルバドル人をあらあらして襲い始めたのである。
またホンジュラス政府は試合直後、国内不法移民の国外追放と資産凍結を発表したのも戦争に拍車をかけた。
エルサルバドル政府は、殺られるまえに殺れとばかりに空軍を動員し、ホンジュラスを空爆し始める。
さらに、エルサルバドル政府は「サッカーで負けたんだから領土もよこせ」ととんでもない理論をぶちかまし、陸軍歩兵部隊一万二千人を投入。
死者数千人にのぼる、サッカーの歴史上最大のフーリガン事件と化した。
さすがにあせった欧米各国が仲裁に乗り出し、両国が平和条約を締結することでなんとか事態は治まったが、この後、両国は10年間のワールドカップ出場禁止処分を受けた。
ペレが戦争をやめさせた?
1967年、ナイジェリアの内戦の両当事者は、ペレが首都ラゴスでのエキシビション・マッチでプレーできるように、48時間の停戦を呼びかけたという記録が残っています。
ペレがナイジェリアを訪れた時に、ペレを見るためだけに、ペレが滞在している間だけビアフラ内戦は一時休戦になりました。
サッカーの神様ペレという選手の偉大さがわかると思います。
感想
サッカースタジアムでの観客による暴動は1800年代からある問題だそうです。
特に1960年代頃から暴動が頻発するようになリ、サポーター同士による抗争だけでなく、様々な問題を起こしてます。
例えば、遠征先の相手チームのスタジアムや近隣の商店街、移動に使用する鉄道やバスなどの公共の交通機関への破壊活動などを通じて社会問題として認識されるようになった。
フーリガンと言う名のギャング集団は、社会情勢に多く影響してると言われ、暴力行為に及ぶサポーターの多くは若い失業者がたくさんいます。
サッカーは時には戦争を起こし、または戦争を止めた歴史があるほど、人を熱くさせるパワーを持ったスポーツです。
クラブチームなら地元を背負い、ナショナルチームなら国を背負って戦うので、エキサイトするのは仕方ありませんが、暴動や暴力は絶対に許せるものではありません。
ましてや、ストレスの発散のための暴動、暴力が目的となる集団で、そのためにサッカーを利用してるフーリガンは完全に犯罪集団です。
スポーツ選手に暴力などは絶対ダメであるのはあたり前で、それを見る私達のマナーもサッカーの将来の発展のために、とても重要であると思います。
火の海と化したのは、2014年4月16日に行なわれたギリシャのカップ戦の準決勝・PAOK vs オリンピアコスの試合です。
・PAOKとオリンピアコスはシーズン1位と2位で完全に2強状態!
PAOK は現在2位でタイトル奪取のためにも絶対に負けられない戦いでありました。
・ホームで熱狂するPAOKサポーター
4月2日に行なわれたアウェーでの試合を2-1で落としていためPAOKは得点を入れて勝つしかありません。
ボルテージの上がったサポーターは試合前から選手を後押しする声援を送るのだが、これがとんでもない盛り上がりなのである!
発煙筒を炊きまくるのである!
・ピッチが見えない
選手が入場を始め、発煙筒が焚かれるとスタジアムは殺気立った雰囲気に豹変。
ところどころから爆発音が聞こえ、ピッチにまで煙が充満し、スタジアムが煙に包まれたのです!
まるで火の海のような光景は完全にカオス状態。
サッカーは人をここまで熱くさせるスポーツです!
一歩間違えば大暴動も起こり得ます。
サッカーがとんでもない事態に! 数々の暴動の歴史を調べてみました!
フーリガンとは
フーリガンとは、サッカーの試合会場の内外で暴力的な言動・行動を行う暴徒化した集団のことを指す。
19世紀末にイングランドで発生したと言われおり、1980年代にはオランダを初めとする欧州各地にも広がり社会問題化した。
フーリガンの種類
・試合の観戦ではなく、暴れることそのものが目的となっている者
・自ら暴動に加わらず、騒ぎを起こすことだけを目的とする扇動者
・自ら騒ぎを引き起こすことはないが、他人が騒ぎ始めればその場の空気で加わる者
特徴
1)飲酒している
2)若者である
3)低所得者層が多い
4)集団で行動する
5)スタジアム外で暴れるものもいる
6)見たくれはスキンヘッドに刺青が多い!
以上がフーリガンという人々の特徴であるが、若者の有り余ったパワーの発散場で、日本のヤンキーとあまり変わらなく、感覚的には一昔前の暴走族と同じ感覚なのでしょうね。
エジプト・サッカー暴動!
図:参照 朝日新聞デジタル
場所 エジプト ・ポートサイド
日付 2012年2月1日
エジプトの国内サッカーリーグ戦において、アルマスリが3-1で強豪チーム・アルアハリを下した試合後に発生!
試合終了のホイッスルが鳴ると、アル・マスリの大量のファンがピッチになだれ込んだ。喜ぶファンの一方で、一部はアル・アハリの選手やサポーターを攻撃。
勝者のアルマスリのサポーターが敗者のアルアハリの選手やサポーターらを襲撃!
この2チームは以前から何度かサポーター同士で衝突しており、仲が悪かった。
難を逃れようとした一部の観客が競技場出口に殺到したことにより圧死。
死者は73人、負傷者は176人と史上最悪の大惨事になった。
原因は、警備側による群集コントロールの失敗
背景として ムバラク政権崩壊後、 警察の治安維持能力が低下し、治安が悪化していました。
2011年からエジプトやアフリカ北部でサッカーの試合をめぐる暴動が増加しています。
地元の裁判所は2013年1月26日に、殺人罪などに問われた観客21人に死刑判決を言い渡した。
カターニアのサッカー暴動
図:参照 AFP=時事
2007年2月2日、カターニアにあるスタディオ・アンジェロ・マッシミーノで行われたセリエAのカルチョ・カターニア対USチッタ・ディ・パレルモ戦で、ファンと警官との間で衝突が起きました。
この両チームの戦いは、シチリアダービーとして知られ、人気がある対戦です。
試合開始後、オフサイドの疑惑が残るゴールでパレルモが先制します。
このゴールに対してカターニアサポーターがアウェー席に発煙筒と爆竹を投げ込んだため、警官隊は催涙弾で対抗した。
催涙ガスがスタジアム内を漂い、プレーしている選手にも影響が出たため、主審のステファノ・ファリーナは40分以上も試合を中断するはめに。
その後、カターニアが同点ゴールを決めたが、パレルモのダビド・ディ・ミケーレが決勝点を決め、試合は2-1でパレルモの勝利に終わる。
決勝点となった2点目のゴールは明らかなハンドの反則を犯しており、カラッチョロの1点目も疑問の残る判定だったため、試合結果に納得のいかないカターニアサポーターは警官隊への攻撃を始めた。
ラチーティ巡査はスタジアム外でパトカーに乗って待機していたが、スタジアム最上部から落とされた紙爆弾がパトカーに直撃したため、彼は驚いて車外に出た。
カターニアサポーターは彼に投石を始め、そこに再び紙爆弾が投げ込まれて爆発し、その場に倒れ死亡しました。
今回の騒動でさらに1人の警官が死亡、100人以上ともいわれる多数の観客が負傷し14名のカターニアサポーターが逮捕された。
ヘイゼルの悲劇
1985年5月29日にベルギー・ブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアムで行われたUEFAチャンピオンズカップ 1984-85決勝のリヴァプール(イングランド)対ユヴェントス(イタリア)の試合前に、サポーター同士の衝突がきっかけとなり大暴動へ!
警官隊700人、軍隊1000人を動員して暴動を鎮圧した。
死者39人を出す大惨事になった。
イギリス人12人を含む15人を逮捕したことを発表した。
会場ではナイフや鉄パイプなどの凶器、瓶缶類の持込が公然と認められており、暴動を起こしたリヴァプールサポーターは酒に酔い酩酊状態にあるため一般客は騒動を止めたくても止めることが出来なかったとしている。
プラティニは「もうサッカーをしたくない」といったらしいです。
フーリガンという言葉が世界中に知られるきっかけとなった事件。
エスタディオ・ナシオナルの悲劇
※エスタディオ・ナシオナルスタジアム
1964年にはペルーでスタンド内の騒乱状態を沈静化するため、警備側が催涙弾を使用。
パニック状態になった観客が出口に殺到し318人が死亡し負傷者500人以上な事故
原因は観客によるピッチへの侵入、審判の判定に対する観客の不満
興奮の収まらない観客は試合後にリマ市内で暴動を引き起こした。
対処 ペルー政府は非常事態宣言を発表。ペルーでのオリンピック予選は中止されました。
サッカーが原因で戦争へ
出撃するエルサルバドル空軍の F-51D戦闘爆撃機(エルサルバドル空軍サイトより)
図:参照 http://www.geocities.jp/yuzukoseu/page010.html
エルサルバドルとホンジュラスの国民が全てフーリガン化し、戦争状態に突入した事件である。
サッカー戦争と呼ばれています。
メキシコ大会の出場権をかけた中米地区予選。
エルサルバドル、ホンジュラス双方が予選決勝に駒を進めることになった。
一回戦
6月8日、前日、投宿したエルサルバドル選手団のホテルの周りを取り囲み、一晩中抗議行動を行い、選手らの安眠を妨げたという。
翌日の試合、これまたスタジアムでは乱闘含む騒ぎがおこり、その中でホンジュラスが1-0で勝利した。
この時、熱狂的なサッカーファンであったエルサルバドル人の18歳の女性がピストル自殺をしてしまう。
彼女の葬儀にはエルサルバドルの代表選手や大統領なども駆けつけるなど、一大イベントと化す。
二回戦
その翌週、今度はエルサルバドルの首都サンサルバドルで2回戦が行われたが、これまた、逆にエルサルバドル側がホンジュラス選手団宿舎を囲んで騒ぎたてる。
自殺した女性の肖像を掲げ、相手チームを批難した。また、サポーターはホテルの窓ガラスを破壊し、腐敗した卵や鼠の死骸などの汚物を建物へと投げ入れた。
結果は3-0でエルサルバドルの勝ち。
三回戦(プレーオフ)
1969年6月27日1勝1敗で迎えたプレーオフ「エルサルバドル対ホンジュラス戦」で、3対2で負けたホンジュラスの全国民が怒り狂って、国家総フーリガン化してエルサルバドル人をあらあらして襲い始めたのである。
またホンジュラス政府は試合直後、国内不法移民の国外追放と資産凍結を発表したのも戦争に拍車をかけた。
エルサルバドル政府は、殺られるまえに殺れとばかりに空軍を動員し、ホンジュラスを空爆し始める。
さらに、エルサルバドル政府は「サッカーで負けたんだから領土もよこせ」ととんでもない理論をぶちかまし、陸軍歩兵部隊一万二千人を投入。
死者数千人にのぼる、サッカーの歴史上最大のフーリガン事件と化した。
さすがにあせった欧米各国が仲裁に乗り出し、両国が平和条約を締結することでなんとか事態は治まったが、この後、両国は10年間のワールドカップ出場禁止処分を受けた。
ペレが戦争をやめさせた?
1967年、ナイジェリアの内戦の両当事者は、ペレが首都ラゴスでのエキシビション・マッチでプレーできるように、48時間の停戦を呼びかけたという記録が残っています。
ペレがナイジェリアを訪れた時に、ペレを見るためだけに、ペレが滞在している間だけビアフラ内戦は一時休戦になりました。
サッカーの神様ペレという選手の偉大さがわかると思います。
感想
サッカースタジアムでの観客による暴動は1800年代からある問題だそうです。
特に1960年代頃から暴動が頻発するようになリ、サポーター同士による抗争だけでなく、様々な問題を起こしてます。
例えば、遠征先の相手チームのスタジアムや近隣の商店街、移動に使用する鉄道やバスなどの公共の交通機関への破壊活動などを通じて社会問題として認識されるようになった。
フーリガンと言う名のギャング集団は、社会情勢に多く影響してると言われ、暴力行為に及ぶサポーターの多くは若い失業者がたくさんいます。
サッカーは時には戦争を起こし、または戦争を止めた歴史があるほど、人を熱くさせるパワーを持ったスポーツです。
クラブチームなら地元を背負い、ナショナルチームなら国を背負って戦うので、エキサイトするのは仕方ありませんが、暴動や暴力は絶対に許せるものではありません。
ましてや、ストレスの発散のための暴動、暴力が目的となる集団で、そのためにサッカーを利用してるフーリガンは完全に犯罪集団です。
スポーツ選手に暴力などは絶対ダメであるのはあたり前で、それを見る私達のマナーもサッカーの将来の発展のために、とても重要であると思います。