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アメリカの音楽チャート!ビルボードに挑戦した日本人アーティスト! [ワクワクニュース]

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日本人アーティストがアメリカでヒットの予感?

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日本で無名なバンド【FAKY】の「Better Without You」がアメリカのビルボードにチャートインしました。

「Better Without You」が、全米ビルボードダンスクラブプレイチャート3月22日付けのブレイクアウトで3位を記録。

また、4月5日付けのダンスクラブプレイチャートでも49位にチャートインしてます。


しかもCDデビュー前です。
(CDリリースに先駆け、楽曲配信サイトではダウンロード販売してます。また、ビルボードの集計方法はエアプレイ60%:セールス40%です)

CDデビュー前に同チャートに入るのは異例中の異例らしい。

同曲の動画が米の著名リミキサーの目に留まり、各所で推薦したという。

「Better Without You」は2013年7月にFAKYが初めてYoutTubeでMVを公開した曲です。

それがレディー・ガガなどを手掛けるアメリカのリミキサー、デーヴ・オーデの目に留まり、海外でもきっとブレイクすると考え、彼の手によりリミックスが制作されました。

知名度と実績のあるデーヴ・オーデの働きかけによりアメリカのクラブDJなどで、ヒット!

その後120か国からのアクセスがあり、彼女たちのYouTube Channelのコンテンツ累計再生回数が100万回を突破しました。




2013年7月29日に YouTube 限定で公開された初のミュージック・ビデオ。Digz, inc. の STY、HIRO らが制作を手掛けたエレクトロニック・ダンス・ミュージック (EDM) です。

華々しいシンセサイザーと力強いビートのアッパーチューンになっている。

また歌詞は独り立ちする「強い女性」を表現している。

ミュージックビデオは地下鉄や都内のクラブで撮影された。

参照、Wikipedia


FAKYが、どこまでアメリカでヒットするのか楽しみです。
ただ音楽を聞く分日本的要素はとりいれてませんね。
FAKYはどことなくK・POPな感じがする気もします。
頑張って欲しいです!

FAKY以前のアメリカの音楽シーンにCDを出した人を紹介します。




アメリカのビルボードに挑戦した日本人アーティスト!

Sukiyaki(上を向いて歩こう) 坂本九
1963年 "Billboard Hot 100" で、3週連続1位



China Nights 坂本九
1963年   ビルボードチャート 58位





『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など活動は多岐に渡り、1985年(昭和60年)の日本航空123便墜落事故に巻き込まれるまで精力的な活動を続けた。

ビルボードチャート 58位のChina Nights渡辺はま子のカバー「支那の夜(China Nights)」(この曲は発売当時は作曲家の専属契約の問題があり、専属契約に対しての縛りが緩和された後には新たに差別表現が問題となり長年日本では発売されず。2004年に発売された坂本九のアルバム「メモリアル・ベスト」で日本発売・初CD化された)





KISS IN THE DARK  ピンク・レディー
1979年 ビルボードチャート37位

『Kiss In The Dark』は、1979年5月1日にワーナー・ブラザーズにより世界40ヵ国で同時リリースされた、日本のアイドルグループ ピンク・レディーのアメリカにおけるデビューシングル。






Computer Game  YMO (イエロー・マジック・オーケストラ)
1980年 ビルボードチャート60位

細野晴臣(エレクトリックベース、シンセベース)
高橋幸宏(ドラムス・ヴォーカル)
坂本龍一(キーボード)
R&Bチャートでは18位までいきました。
ちなみに全英チャートでは17位





Walking on Thin Ice オノ・ヨーコ
1981年 ビルボードチャート58位

12月8日、レノンとオノはスタジオで、『ウォーキング・オン・シン・アイス』の作業をしていた。レノンの没後『ウォーキング・オン・シン・アイス(フォー・ジョン)』はレノン死後1か月も経たないうちにリリースされ、チャート58位を記録した。






Love Light  YUTAKA (横倉裕)
1981年 ビルボードチャート 81位

YUTAKA(ユタカ)の名前でGRPレコードと日本人として初めて契約したミュージシャンである。
日本出身の歌手で、キーボーディスト、琴奏者、コンポーザー、アレンジャー、プロデューサー。





Right Combination 松田聖子 & ドニー・ウォルバーグ
1990年 ビルボードチャート 54位


歌ではそれほど売れませんでしたが、映画アルマゲドンに一瞬出たり、2010年、米国20世紀FOXの大人気ドラマ「Bones」にゲストスターとして出演してます。





Trust Your Love  倖田來未
2001年 ビルボードチャート19位

初登場39位、最高19位を記録した。日本においても、オリコン初登場18位と、スマッシュヒットを記録した



なお宇多田ヒカルは2004年Easy BreezyでCDを出すがビルボードチャート圏外
2009年に再びCome Back to Me でCDを出したがビルボードチャート圏外でした。



全米アルバムチャートにランクインした日本人


1963年
Sukiyaki and Other Japanese Hitsi
坂本九
14位


1970年
Yoko Ono/Plastic Ono Band オノ・ヨーコ
182位


1976年
Go
ツトム・ヤマシタ
60位


1979年
Kiss in the Dark
ピンク・レディー
圏外


1980年
Yellow Magic Orchestra YMO (イエロー・マジック・オーケストラ) 81位


1980年
×∞Multiplies YMO (イエロー・マジック・オーケストラ)
177位


1981年
Season of Glass
オノ・ヨーコ
49位



1985年
Thunder in the East
ラウドネス
74位



1986年
Lightning Strikes
ラウドネス
64位


1990年
Seiko
松田聖子 圏外


1990年
Kojiki
喜多郎
159位

1996年
Peace on Earth
喜多郎
185位


1998年
Precious
Cubic U (宇多田ヒカル)
圏外

2002年
An Illustrated History
パフィー
圏外


2008年
Uroboros
Dir En Grey
114位


2009年
This Is the One
UTADA (宇多田ヒカル)
。69位


2011年
Dum Spiro Spero
Dir En Grey
135位


2014年
BABYMETAL
BABYMETAL 187位





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コメント 4

シルフ

キー坊こと上田正樹が若い頃、言ってたもんな。
「目指すライバルは坂本九」やって。
世界中でもっとも知られてる日本のシンガーやったからね。
外人にコピーされてた(笑)
by シルフ (2014-04-11 07:31) 

昆野誠吾

動画沢山貼ってあって聴くの大変でした!(笑
が、どれも良いですね♪
やっぱり音楽って偉大です。
でも一番良かったのはやっぱり上を向いて歩こうでした^^
by 昆野誠吾 (2014-04-11 17:15) 

yakko

こんばんは。お越しいただき有り難うございます。♩
by yakko (2014-04-11 19:21) 

NO NAME

なんでAKのことがでてこないのか??
「All Day, All Night, Always」はiTunesで1位を獲得しているし、「Say That You Love Me」のハウスミックスが世界中のダンスチャートで1位を獲得し注目を集めてた。日本人なのに、中国での知名度のほうが高い。なんで??
by NO NAME (2014-09-23 00:28) 

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